3 祖父の話

 喜三郎さんの祖父吉松さんは、聖師の誕生後六ヵ月目、明治四年十二月二十七日に亡くなられました。その臨終の時、喜三郎さんの御両親を枕辺に招いて次のように遺言されました。

「上田家は古来七代目にかならず偉人があらわれて天下に名を成したものである。
 彼の有名な画伯円山応挙(まるやまおうきょ)(本名は上田主水)は、自分より五代前の祖先上田治郎左衛門が篠山藩士の女をめとって妻となし、その間に生まれたものである。
 今後の孫は丁度七代目にあたるから、かならず天下に名をあらわすものになるであろう。
 いづぞやも亀山(現在の亀岡)の易者に孫の人相を見てもらったら、この子はあまり学問をさせると、親の屋敷におらぬようになる。いずれにしても、ちがった児であるから、十分気をつけて育てよとのことであった。
 ワシの命はもう終りである。しかしながら、ワシは死んでも霊魂は生きて、孫の生い先きを守ってやる。
 この児は成長して名をあらわしても、あまりわが家の力にはならぬとの易者の占いであるけれども、天下に美い名をあげてくれれば、祖先の第一名誉であり、また天下のためであるから、大事に養育せよ。これが私の死後までの希望である」