8 久兵衛池事件

 喜三郎さんは小学校の代用教員を一年ばかり勤めていましたが、仏教の僧侶出の教員と、神道のことについて衝突したのが原因で辞職されました。明治十八年、十五歳の秋から隣家の斎藤源治という豪農の家に奉公をされましたが、翌年一つの事件が起りました。

 上田家の屋敷の裏鬼門にあたるところに、俗称久兵衛池(きゅうべえいけ)という池がありました。この池は祟り池といわれたくらいで、上田家の人がこれまで七人もこの池で溺死しました。喜三郎さんも七歳のとき誤って落ちこまれ、危いところを祖母の宇能子さんに助けられたことがあり、弟の幸吉さんも溺死しようとしたので、吉松さんは思いきって池を埋めてしまおうと決心しました。そのために上田家と村人との間に大問題が起ったのであります。

 この池は灌漑用の池なので、村人は埋めることに反対したのですが、吉松さんは、

 「自分の所有地にある池を、自分が埋めようがどうしようが勝手である」

というので、村人との間に争いとなりました。地主や村会議員など村内の有力者たちは、斎藤家にあつまって吉松さんをイヂめる相談をしました。

 「吉松が池を埋めるというならば、こちらにも彼を困らせる手段がいくらでもある。
 元来、吉松という奴は愚直な上に文盲で、貧乏の子沢山で年寄りまでいるのだから、地主同盟の上、彼の小作の田地を皆とり上げてしまえば、明日から食うに困って、乞食でもするより外はないだろう。
 上田の所有地を実測してみると、二十坪ばかり余計になるから、あの池は村の物だといって、取り上げようではないか。
 よもやあの貧乏人が、裁判所へ訴えるようなことはようせぬだろう。
 その上、吉松は貧乏なので、村中調べたら方々に金や米の借りがあるだろうから、少しでも貸しのある者は皆こぞって催促して、一泡吹かすのも面白かろう」

 喜三郎さんは村人の相談を、別の間で無念をこらえて聞いておられました。

 喜三郎さんは村人たちが酔っぱらって引きあげるのを待って、主人の斎藤源治氏に暇を乞い、家へ帰ろうとされますと、主人が喜三郎さんを自分の部屋へ通して、

 「お前はさっきから村の人の話を聞いたであろう。それがためお前はいま非常に激昂しているようだが、心をしずめて私のいうことを聞いてくれ。
 村の人はあんな風に申し合っているから、万一お前のお父さんがガンばって抵抗するようなことでは、この先きどんなことになるかも知れぬ。
 そうなっては私もみる目がつらいから、家へ帰って両親に得心するように、懇々と話してやってくれ」

ということでありました。

 喜三郎少年は一言も発せず、一心に瞑目されながら神さまにむかって、

 「何とぞ今回のことについては、理非曲直を明かにさせて父母の苦衷をお救い下さい」

と祈りおわって決心の色を面にあらわし、

 「こういう悪人どもの跋扈する村内には住みたくないから、よし一家そろって乞食になり餓死しても、かまって下さらないで下さい。私たち親子はあくまでも正義のために死ぬ覚悟であります」

といい放って、断然暇をとって家へ帰られました。家へ帰ってみると、両親は非常に心配しておられましたが、

 「御心配なさいますな、今に神様のお助けを仰いで、正邪を明かにして御安心させますから」

と、やさしく父母をなぐさめ、ただちに亀岡の伯母の家へ行って、一部始終を話されますと、伯父伯母も非常に怒って、

 「よし、そういう次第ならあくまでも正々堂々と戦え、万一の場合には自分らが引きうけてやる」

といってくれましたので、百万の援軍を得たように喜びいさんで帰宅されました。

 翌日金剛寺という寺の広間で村の総寄合が開かれましたので、喜三郎さんは父の代理として出席し、堂々と戦いましたところ、村人も正義には適し難く「それでは年々報酬を出すことにして借りるわけにはゆくまいか」と弱音を吐き出しました。結局、村から毎年玄米一斗五升出して借りることとして契約書をとりかわし、久兵衛池事件は落着を告げました。