13 高熊山出修の動機

 明治三十一年[※1898年]喜三郎さんが二十八歳の時であります。旧二月八日の夜、村内で浄瑠璃の温習会がひらかれましたので、喜三郎さんも参加し、裃をつけて絵本太功記尼ヶ崎の段を語られました。

 丁度「夕顔棚のこなたより、あらわれ出でたる武智光秀……」とやっておられますと、かねて喜三郎さんに恨みをもっていた宮相撲取りの若錦を先頭にデモ侠客が数名、いきない高座へ飛び上って、喜三郎さんを引きずり出し、附近の桑畑へかつぎ行き、打つやら蹴るやらフクロたたきの目にあわせました。そこへ喜三郎さんの友達の勝公が二三人の手下をつれて来て、暴漢等を追い散らしました。

 弟由松さんは、兄の敵だといって棍棒をもって若錦のところへ出かけましたが、あべこべに打ちすえられ、頭に血を出して帰って来ました。

 喜三郎さんはその夜、郷神社前の喜楽亭という小さな家の一間に頭から夜具をかぶって寝ておられました。

 そこへ喜三郎さんの名を呼びながら、御生母があわただしく入って来られました。

「お前はまた喧嘩をしたのだなア。去年までは親爺さんがおられたので、誰も指一本さえる者もなかったが、わしが後家になったと思ってあなどり、家の伜をこんなヒドい目にあわしたのであろう。
 去年の冬から丁度これで九回目、中途に夫に別れるほど不幸なものはない。
 また親のない子ほど可愛相なものはない。弟の由松は、兄の讐討だとかいって若錦のところへ押かけ、反対に頭をこづかれて、血を出して帰って来て家にうなっている。
 兄はまたこの通り、神も仏もこの世にはないものか」

と、他人さんの子を恨んでおられました。

 喜三郎さんはこれを聞かれると、気の毒でたまらなくなり、傷の痛みもどこかへ逃げ去ってしまいました。実のことをいえば喜三郎さんは今までは病気中の父に心配をかけてはならぬと思い、村の人々とも折合をよくしていたので、皆から可愛がられ重宝がられていたのでした。しかし、父が死なれた上は、もう心配をかけるということもなくなったので、村人に対する一片の侠気から、むしろこちらが求めて喧嘩をされたのでした。

 しばらくすると、八十五歳になった祖母の宇能子さんが杖もつかずに来られました。宇能子さんは

「お前はもう三十に近い身分だ、物の道理のわからぬような年頃でもあるまい。
 侠客だとか人助けだとか下らぬことをいって、たまに人を助け、助けたよりも十倍も二十倍も人に恨まれて、自分の身に災難のかかるような人助けは、チッと考えてもらわねばなるまい。ナラズ者の賭博者を相手に喧嘩をするとは、不心得にも物好きにも程がある。
 お前はいつも悪人をくじいて弱い善人を助けるのが、男の魂じゃというているが、六面八臂の魔神なれば知らぬこと、そんな病身のヤニコイ身体でいながら、相撲とりや侠客と喧嘩するとは余りわからぬじゃないか。
 今年八十五になる年寄や夫に別れて間もない一人の母や、東西もわきまえ知らぬような、頑是ない小さな妹があることを忘れてはなるまい。
 この世に神さまはないとか、哲学とかいって空理屈ばかりいって、勿体ない、神さまを無いものにして、御無礼をした報いが今来たのであろう。よう気をおちつけて考えておくれ。
 昨夜のことは全く神さまのお慈悲の鞭をお前に下して、高い鼻を折って下さったのだ。必ず必ず若錦やその外の人を恨めてはなりませんぞ。一生の御恩人じゃと思うて、神さまにもお礼を申しなさい。
 お前のお父さんは幽界から、その行状の悪いのを見て、行くところへもよう行かず、魂は宙に迷うているであろうほどに、これから心を入れかえて、誠の人間になってくれ。侠客のような者になって、それが何の手柄になるか」

と、慈愛の釘をうたれて、喜三郎さんは胸のはり裂けるような思いをされました。その時、喜三郎さんは、はじめて御自分の誤っていたことに気づかれました。そして祖母と母の前に両手をついて改心を誓われました。

 聖師は「自叙伝」の中で「懺悔の剣に刺し貫かれて、五臓六腑をえぐらるる様な苦しさを感じて来た」と書いておられます。悔悟の念は一時に起ってきて、ついには感覚までも失い、ボンヤリとして我とわが身が分らないようになって来ました。

 そこへ一人の洋服を着た男がやって来て、喜三郎さんはその男と二三問答をされた後、御自分では富士山に行くつもりで家を出られました。それは旧二月九日の夜のことでありました。

 喜三郎さんは巻き紙にしたためた一通の書き置きを残して行かれました。その書き置きには次のような歌が記されてありました。

 吾は空行く鳥なれや
 …………………………
 遙に高き雲に乗り
 下界の人が種々の
 喜怒哀楽にとらわれて
 身振り足ぶりするさまを
 われを忘れて眺むなり
 げに面白の人の世や
 されども余り興に乗り
 地上に落つることもなが
 御神よ吾と共にあれ

 喜三郎さんは翌朝になって、御自分が郷里の高熊山の岩窟の上に坐っていることに気づかれました。