14 高熊山の修行

 高熊山は丹波穴太の山奥にある高台で、上古には開化天皇[※9代天皇]を祭った延喜式内小幡神社のあったところであります。

 この高熊山における修行は、旧二月九日から一週間にわたって行われたもので、この修行中に喜三郎さんは天眼通、天耳通、自他心通、天言通、宿命通の大要を心得し、過去現在未来に透徹し、神界の秘奥を窺知し得るとともに、現界の出来事などは数百年、数千年の後までことごとく知ることが出来たのであります。

 喜三郎さんの破天荒な修行中の状況は、聖師の著、「霊界物語」に詳しく示されていますが、いま第一巻の中の「現界の苦行」および「現実的苦行」と題する一説を次に抜粋いたします。

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「高熊山の修行は一時間神界の修行をさせられると、現界は二時間の比例で修行をさせられた。しかし二時間の現界の修行より、一時間の神界の修行の方が数十倍も苦しかった。

 現界の修行といっては、寒天に襦袢一枚となって、前後一週間水一ぱい飲まず、一食もせず、岩の上に静坐して無言でおったことである。

 その間には降雨もあり、寒風も吹き来たり、夜中になっても狐狸の声もきかず、虫の音もなく、時々山もくずれんばかりの怪音や、何ともいえぬ厭らしい身の毛の震慄する怪声が耳朶を打つ。

 さびしいとも、恐ろしいとも、何とも形容のできぬ光景であった。……たとえ狐でも、狸でも、虎狼でもかまわぬ、生ある動物が出てきて生きた声をきかしてほしい、その姿なりと、生物であったら、一眼見たいものだと、あこがれるようになった。

 アヽ生物くらい人の力になるものはない……と思っていると、かたわらの小篠の中からガサガサと足音をさして、黒い影の動物が、自分の静坐する一尺ほど前までやってきた。

 夜眼には確にそれとわかりかねるが、非常に大きな熊のようであった。

 この山の主は巨大な熊であるということを、常に古老から聞かされておった。そして夜中に人を見つけたが最後、その大熊が八ざきにして、松の枝にかけて行くということを聞いていた。自分は今夜こそこの大熊に引きさかれて死ぬのかも知れないと、その瞬間に心臓の血をおどらした。

 ままよ何事も惟神(かむながら)に一任するにしかず……と、心を臍下丹田に落ちつけた。サアそうなると恐ろしいと思った大熊の姿が大変な力となり、そのうなり声が恋しくなつかしくなった。世界一さいの生物に、仁慈の神の生魂が宿りたもうということが、適切に感じられたのである。

 かかる猛獣でさえも寂しいときには力になるものを、いわんや万物の霊長たる人においておやだ。

 アヽ世界の人々を憎んだり、おこらしたり、あなどったり、苦しめたり、人を何とも思わず、日々を暮してきた自分は、何としたもったいない罰あたりであったのか、たとえ仇敵悪人といえども、みな神様の霊が宿っている。人は神である。いな人ばかりではない、一さいの動物も植物も、みな我々のためには、必要な力であり、たのみの杖であり、神の断片である。

 人はどうしても一人で世に立つことは出来ぬものだ。四恩ということを忘れては人の道が立たぬ。人はもちつもたれつ相互に助け合って行くべきものである。

 人と名がつけば、たとえその心は鬼でも蛇でもかまわぬ、大切にしなくてはならぬ。それに人は少しの感情や、利害の打算上から、たがいに憎みねたみ争うとは、何たる矛盾であろう。不真面目であろう。人間は神様である。人間をおいて力になってくれる神様がどこにあるであろうか。

 神界では神様が第一の力であり、たよりであるが、現界では人間こそ、我らを助くる誠の生きたる尊い神様であると、こう心の底から考えてくると、人間が尊くありがたくなって、粗末に取り扱りあつかうことは、天地の神明に対し奉り、恐れありということを強く悟了したのである。

 これが自分の万有に対する、慈悲心の発芽であって、有難き大神業に奉仕するの基礎的実習であった。

 つぎに自分の第一にありがたく感じたのは水である。

 一週間というものは水一滴口に入れることも出来ず、咽喉は時々刻々にかわき出し、何ともいえぬ苦痛であった。たとえ泥水でもよい、水気のあるものがほしい。木の葉でもかんでみたら、少々くらい水は含んでおるであろうが、それも一週間は神界から飲食一さいを禁止されておるので、手近にある木の葉一枚さえも、口に入れるというわけにはゆかない。そのうえ時々刻々に空腹を感じ、気力は次第におとろえてくる。されど神のおゆるしがないので、お土の一片も口にすることは出来ぬ。膝は崎嶇たる崖上に静坐せることとて、これくらい痛くて苦しいことはない。寒風は肌身をきるようであった。

 自分がフト空をあおぐ途端に、松の露がポトポトと雨後の風にゆられて、自分の唇辺に落ちかかった。何心なくこれをなめた。ただ一滴の松葉の露のその味は、甘露とも何ともたとえられぬおいしさであった。

 これを考えてみても、結構な水を火にかけ湯にわかして、ぬるいの熱いのと、小言をいって居るくらい勿体ないことはない。

 草木の葉一枚でも、神様のおゆるしがなければ、戴くことは出来ず、衣服は何ほど持っておっても、神様のおゆるしなき以上は着ることも出来ず、あたかも餓鬼道の修行であった。その御陰によって水の恩を知り、衣食住の大恩をさとり、ぜいたくなどは夢にも思わず、どんな苦難にあうもおどろかず、悲しまず、いかなる反対や熱罵嘲笑も、ただ勿体ない、有難い有難いで、平気で社会に泰然自若、感謝のみの生活を楽しむことが出来るようになったのも、全く修行のおかげである。

 それについて今一つ、衣食住よりも人間にとって尊く、有難いものは空気である。飲食物は十日や二十日くらい廃したところで、死ぬようなことは滅多にないが、空気はただの二三分間でも呼吸せなかったならば、ただちに死んで了うよりみちはない。自分がこの修行中にも空気を呼吸することだけは許されたのは、神様の無限の仁慈であると思った。

 人は衣食住の大恩を知ると同時に、空気の御恩を感謝せなくてはならない。

 しかし以上延べたるところは、自分が高熊山における修行の、現界的すなわち肉体上における神示の修行である。霊界における神示の修行は、とうてい前述のごとき軽い容易なものではなかった。幾十倍とも幾百倍とも知れぬ大苦難的修練であった」