15 使命の自覚

 喜三郎さんの肉体は、高熊山の巌窟の上に端坐しておられたのですが、霊魂が肉体を遊離して神使に導かれ霊界を逍遥し、天地創造の時代から神界の組織経綸、天国地獄の情況等くわしく探険して来られたのであります。

 「霊界物語」全八十一巻はこの時の霊界探険を基礎として述べられたものでありますが、おそらく、こうした破天荒の霊的体験は、かのキリスト神学界の大偉人として知られているスエデンボルグを凌駕するものでありましょう。

 この修業は旧二月九日から一週間にわたって行われたのでありまして、喜三郎さんは、はじめて自己の救世の使命を自覚されたのであります。この時、喜三郎さんが神使より受けた教訓は大略左の通りでありました。

 「澆季末法にかたむいた邪神の荒ぶ今のときにあたって、お前は至粋至純なる惟神の大道(かむながらのだいどう)を研究し身魂をきよめ、立派なる宣伝使となって世界にむかい、神道のラッパを吹き立て世界を覚醒せなくてはならぬ。
 今に於て惟神の大道を宣伝し、世界の目を醒ますものがなければ、今日の社会の維持することは出来ない。ひいては世界の破滅を招来することは鏡にかけて見るようだ。
 お前はこれから神のしもべとなって、暗黒世界の光となり、冷酷社会の温味となり、腐りきった身魂(みたま)を救いきよめる塩となり、身魂の病をいやす薬ともなり、四魂をみがき五情をきたえ、誠の大和魂となって、天地の花と謳われ果実と喜ばれ、世のため道のためにつくしてくれねばならぬ。
 真の勇、真の親、真の愛、真の智慧を輝かし、この大任を完成せんとするは、なかなか容易な事業ではない。今後十年の間はその方の研究の時期である。その間におこるところの艱難辛苦は非常なものだ。
 これを忍耐せなくては汝の使命を果すことは出来ないぞ。
 しばしば神の試にもあい、邪神の群に包囲され苦しむこともあるであろう。前途にあたって深い谷もあり、剣の山や血の池地獄や、蛇の室、蜂の室、暴風怒濤に苦しみ、一命の危いこともしばしばあるであろう。手足の爪までぬかれて、神やらいに退われることも覚悟しておらねばならぬ。
 さりながら少しも恐るるにはおよばぬ。神様を力に誠を杖に猛進せよ。いかなる災害に遭うとも決して退却してはならぬ。何ごともみな神の御経綸だと思え。
 一時の失敗や艱難に出あうたために、神の道に遠ざかり心を変じてはならぬ。ミロクの神の御心を、生命のつづくかぎり遵奉し、かつ世界へ拡充せよ。
 神々は汝の身を照し、汝の身辺につきそうてこの使命を果すべく守りたもうであろう。特に十年間はもっとも必要な修業時代だ」

 二月十五日の正午まえ、喜三郎さんは帰宅されました。家族の者はもちろん、親戚、株内近所の人々は大騒ぎをしていたところへ、喜三郎さんがひょっこり戻って来られたものですから、みな集まって来ていろいろ尋ねましたが、神様から修業をさせられた、などといったところで、信ずる筈がありませんので、黙って答えられませんでした。

 そうすると、翌々日から再び身体が強直状態になって手足の自由がきかぬようになり、口もきけなくなりましたが、意識はハッキリしていて、耳はよく聞えるのでした。やがて医者が来る、天理教の教師や法華信者のお婆さんが来る、祈祷僧》が来る。てんでにいろいろなことを言うので、「自分は何でもない、神さまから修行させられているのだ」と言おうとされましたが、口がきけず、皆のするままにしておきますと、親戚の或る男がやって来て、

 「これはてっきり狸がついたのに違いない、一つ青松葉でくすべてやろう」

といって、唐がらしと青松葉をくすべて、煙をウチワで喜三郎さんの鼻の穴へあおぎこもうとしたときに、母の世根子さんが入って来られ、

 「まあそんな手荒いことをしないで」

と泣いてとめられました。喜三郎さんは母の眼から涙が自分の顔の上に落ちたと思うと、何だか知らぬが、一筋の金色の綱が下って来たので手早く握ったと思う途端に、再び身体の自由がきき、口もきけるようになりました。こうした状態が一週間つづき、その間に、やはり喜三郎さんの霊魂は霊界を逍遥されたのであります。