17 開祖との会見

 明治三十一年の旧六月に入った或る日のこと、喜三郎さんが産土神社に参拝された時、左の神示に接しられました。

 「一日も早く西北の方をさして行け。神界の仕組がしてある。お前の来るのを待っている人がある。何事にも頓着なく速かにここを立って園部の方へ向って行け」

 ここに喜三郎さんは故郷を後に出発されました。旧六月の暑い日のことであります。

 喜三郎さんは山陰道の八木(やぎ)の虎天堰(とらてんいね)というところの枝ぶりのよい老松をひかえた一軒の茶店に休まれました。茶店の女主人は、喜三郎さんにむかって

 「あなたは何をなさる方ですか」

と尋ねますと、喜三郎さんは

 「私は神さまを調べる役だ」

と答えられました。その女主人は非常に喜んで

 「実は私の母はいま綾部におりますが、にわかに艮の金神(うしとらのこんじん)さんがおうつりなさって、沢山の人がお神徳をいただいています。
 母にうつった神様のおっしゃるには、私の身上をわけてくれる者は東から出て来る。そのお方さえみえたならば、出口直の身上はわかってくるとおっしゃいましたので私ら夫婦はわざとこの道ばたに茶店を開いて往来の人さんに休んで貰い、母の言ったお方を探しておりました。
 あなたのことかと思われてなりません。どうぞ一度母の身上を調べてやって下さりませぬか。これが母の神様がお書きになったお筆先でございます」

と出して見せたのが、バラバラの一枚書きの筆先でありました。

 喜三郎さんはこれを手にとって御覧になりますと、一見、おれ釘みたいな文字ですが、一種の風格をそなえているのと、その内容は御自分がかつて高熊山の修行中に見聞したことによく符合するので、非常におどろき、近日のうちに綾部へ行くことを約束されて女主人と別れられました。この女主人というのが、大本開祖出口直子刀自[※刀自は年輩の婦人に対する尊称]の三女福島久子さんだったのであります。

 喜三郎さんは久子さんと約束をして八木を立ち去り、園部の広田屋という宿屋におちつき、宣伝をされ、信者も次第にふえて来ましたが、久子さんとの約束を思い出されまして、旧八月二十三日、綾部の裏町に開祖出口直子刀自を訪問されました。これが開祖と聖師との最初の会見であります。

 この当時、開祖を世話していたのが金光教教会の受持教師足立正信氏でありました。聖師は開祖の宅に二泊されましたが、未だ時期至らずとして開祖に暇をつげ、園部に引きかえし、園部を中心に附近の宣伝に従事されました。